生命宇宙の世界(6)

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みなさん、こんばんは。

今回は少し、従来の自然科学の考え方から
ちょっと離れたモノの見方を考えてみたいと思います。

自然科学、というのは、
モノゴトの道理を説明する方法論のひとつ、でしょう。
物理学、化学、生物学、天文学…
まぁ、学校の理科で習うような内容は、
大抵は自然科学に分類されるものです。
その基礎となる数学もそうですね。

これらは、およそ共通して、
モノゴトの因果を結び、それに名前をつける
という作業をしてきた結果です。

何か現象がある、
ということは、それには原因があり、
その原因からどのようにその結果に至るのか、
それを究明し、解読し、説明する。
そのパターンが一定化すれば、
それに何たらの法則、とか、何ぞやの原理、
などと名前がつけられるわけです。

要するに、定式化できるものは、
大体自然科学として扱うことができるのですね。

さて、何度も書いてきたかもしれませんが、
世の中にはそうでないものもあります。
つまり、定式化できないもの、ですね。
厳密にいえば、
人の知能では定式化できないもの、です。
(一応、人知を超えた領域で定式化できる余地を残します)

例えば、水の流れ、風の変化、雲の動き、
生物の無作為な動作、人の感覚や思考、など。

こうしたものでも、近年、
何とか自然科学の世界に取り入れられようとしています。
複雑系の数学であるとか、脳科学などですね。
自然科学に取り入れる、ということは、
つまり、これらを定式化しようとする、ということ。
それに、何がしの法則とか、何ぞの原理、
…などと名前をつけたいわけです。

さてさて、
今の人知でそれら全てが定式化できるものなのでしょうか。

定式化できないものは科学ではないのか。
私は必ずしもそうは思いません。
自然科学というのは、
現象の原因と結果を結びつける方法論、ですが、
それが一定である必要はない…
もう少しいうなら、
今の人間の理解や感覚において、
それが一定であるように見える必要性はない
と思うのです。

日常生活において、
これって同じようなことが別の場面でもいえないか、
とか、
これはあれと同じようなもんだよな、
などと、何となく感覚することがあると思います。

全く科学的でない話をしてみます。

自分のプライベートな部屋の整理整頓をしない人は、
仕事においてもあまり整理できない…。

玄関の履物がバラバラな家は、
その家庭もあまり上手くいっていない…。

普段からよく病気にかかる人は、
私生活も不摂生である…。

これらも、何となくつながりを感じる関係でしょう。
因果関係もどこかにありそうです。
しかも、これらは厳密に(科学的に)理論を構築せずとも、
何となく直感で解るようなことではないですか。

原因と結果を厳密に洗わなくとも、
そのつながりを感じることはできます。
しかし、どう説明して良いか解らない、と。
そうして説明が要求された場合に、
自然科学のやり方に落としていくと、
どうしてもボトムアップ的な考え方にならざるを得ません。

それを構成する素粒子がこのような振る舞いであり、
それらが集まるとこのように振舞うようになり、
それを式で書くとカクカクシカジカである…

全てこうして説明できれば良いわけですが、
複雑系とか脳などという話をそうして書こうとすると、
逆に複雑になりすぎて収集がつかなくなります。
日常生活や社会での因果関係も同様です。

ちょっと考えればわかると思いますが、
実は、それらは科学という道具で説明されるまでもなく、
現にそうあるのです
そして、それは普通に認知できます。
逆に、そうあるものしか、認知できるものしか、
科学では説明できません。

当然、因果関係も、実は認知されています
それは詳細に説明できない、というだけです。

要点。
現象の原因と結果を結びつける方法論。
現象自体は、説明を待たずとも認知されている。
因果関係も、実は認知されている。

多分、人に何かを説明されて、
「あー、そうだね」と膝を打って納得できるということは、
もとよりその因果関係を認知しているからなんですね。

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