ニセ科学

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ぼーっとYahoo!のトピックスを眺めていたら、

ニセ科学でシンポジウム

などというタイトルがありました。

「ニセ科学」とは何か?

そこの言説によると、
「科学のようなふりをしている非科学」
ということになるらしい。

そういえば昔、
「似非(えせ)科学」とか「疑似科学」とか「トンデモ」とか、
そういうものを取り上げて、
あーだこーだといろいろ論じるのが熱かった頃があったなぁ…。

今となっては、あれもひとつのエンタテイメントとして、
ちょっと面白かったのかもしれない、
むしろ、何事もそれが本当に科学なのかを疑うべし、
という認識が強まっていて良かったのではないかと思うんですが、
ここであえてそんな集会が開かれる、
しかもニュース記事になるというのは最近珍しいかなと。
(そうでもない?)

んじゃちょっと、
ここでニセ科学として紹介されている例について
いくつか考えてみますか。

○血液型性格診断

これに科学的な根拠は何もない。

私自身「あの人は何型人間だ」とよく使ったりするのですが、
血液型による判断自体に根拠がないことは百も承知です。

その上で、雑談レベルで、
几帳面できっちりしている人を「彼はA型だよねー」とか、
個性が強く自己中な人を「あれはB型な性格だなー」とか、
そんな程度に使ってるんですけどね。

このとき、実際にその人が何型であるかはあまり関係ない。

そこで紹介されている論文を見てると、
履歴書などに血液型の記入欄があることに言及しています。
確かに、それで性格が判断されたんじゃたまらんですけど。

血液型の欄自体は、
あくまで生年月日や性別などと同列の情報として
その記入を求めているのだと思いますけどね。

ただ、採用担当者や面接官などが変な先入観を持つ可能性は、
あるといえばあるかもしれない。
(問題といえば、そっちの方が問題)

そういう実害があるとするなら、確かに憂慮すべきですね。


○フリーエネルギー

これは、言葉自体が何となく科学っぽいのも影響してますか。

ちょっと調べれば完全に否定されているはずのものなので、
あえてここでどうこういう話じゃないと思ってますが。

 何もないところから無限にエネルギーが取り出せるか?

 否。

まずですね、第一種永久機関ってやつの存在の否定は、
中学校理科あたりの教科書に載ってる話です。
「エネルギー保存則」という物理学の根本原理に反すると。

いや、じゃあ無から宇宙ができたのはどうしてだ?
とか何とかいい出されそうですが、そこは、
量子力学的な「真空」とは何か?
ということをまず理解してからの話になるでしょう。

ていうか、そこまで考える人なら、
多分、フリーエネルギーなんて言葉を真に受けたりはしないかと。


○マイナスイオン

これが体に良い!などという話が実しやかに語られていると。
ブームは収束しつつある、とはいってるけど、
いまだにマイナスイオン効果をうたった商品とか出てる気がします。

そもそも、イオンというのは、
原子や分子が電子を失ったり余計に得たりした状態のもので、
それがなぜ体に良いのか、私はよくわからなかったんですけどね。

多分、「イオン」というのが何かを知らない人々にとっては、
この「マイナスイオン」という言葉自体が、
何となく科学らしく見えて説得力を得るのでしょうね。
(某大手スーパーの会社名じゃないっすよ)

いつだったか、何かの科学情報番組(?)で、
人は、山林などの緑の多い場所へ行くと、
気分が爽やかになったり、心が落ち着いたりするのだけど、
それはなぜか?みたいなテーマが出ていて、
それは、緑が多い場所では光合成が盛んに行われているので、
その副産物として水分子のイオンが大量生成されて、
それが酸化しがちな体を中和してくれるから…みたいな、
そんな説明をされてたような記憶があります。

森林浴は、確かに身も心も落ち着く(感じがする)し、
その周辺を調べると負電荷のイオンがたくさんあるので、
そこに関連性を見るあたりは“科学的”じゃないかな。

でも、まだ本当に関連性があるかどうかについては、
「確証はない」そうで。
つまり、マイナスイオンの話は、
今はまだ仮説の段階なんじゃないか、と。

で、その仮説を、
完成された科学として宣伝しているあたりがニセ科学だ、
ということなんでしょうかね。

それでだまされて商品を購入する人がいるなら、
確かに実害が出ているのかもしれない。
でも、どちらにしろ気分の問題なら、
マイナスイオンを生成する家電を使って、
爽快になった気になってもらってもいいんじゃないかい(笑)

実際の効果はどうあれ、
消費者に求められる需要を満たして売っていくのが、
企業の商品戦略ってやつなのかもしれないわけで。

科学は必ず正しい。それはなぜか?

答えは簡単で、結果的に正しかったものを、
私たちは「科学」と呼んでいるからです。

ただ、多分それは狭義の科学であって、
その科学になりそうな仮説を立てて、
それを検証していくこともまた科学だと思います。

上の記事の中で、

「水にやさしく語りかけるときれいな結晶になって、
 汚い言葉で罵倒するときれいな結晶ができない」

ということが道徳の授業で講義されているのはとんでもない、
などと目くじら立てているみたいですが、
対象が小学校高学年くらいなのであれば、
そんなのあり得ないことくらい理解してるんじゃないかなぁ?
その上で、あくまで「道徳」の話として聞いていればいいっしょ。

これがもし理科の授業なら問題だけどね。

雷が鳴ったら、へそを出してると雷様にへそをとられちゃうぞ!

などといわれて、
本当に雷様にへそをもってかれると思っている人はいないでしょう。
(少なくとも、成長過程でその意味を知ることになる)

問題なのは、世に出回っている通説を、
全く何も考えないで鵜呑みにしてしまうことですよ。

ええと、私は、ニセ科学を擁護しているのではないです。
ただ、「何か柔軟性に欠けるなぁ」という印象を持ってしまった。
確かに、科学でないものを科学と詐称するのは良くないのですが、
既に科学であるものしか科学であると認めない、
という逆の思考にもなり得るような気がする話に見えたのですな。


いいたいことは、そういうことじゃないのかな…?

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