逆転裁判3 DS 面白いです。
(GBAと全く同じなんですがネ…。)
白でなければ黒である。
こんなデジタルな考え方はあまり現実的ではないと
ファジーの塊である私たち人間は思うんだけど、
こと抽象論となると、
白か黒かのいずれかに決めないとおさまりがつかない。
何かが正しいと証明するときに前提される公理のひとつに
排中律というやつがあります。
命題Pの否定命題P’があるとして、
P’が真ならばPは偽である。
逆に、P’が偽であればPは真である。
というやつですね。
これを利用した証明法が背理法というやつで
中学か高校数学あたりでも習う話なんだけど、
今にして考えてみれば、
何かどうにも胡散臭く思えてしょうがない。
例えば
(2の平方根)は無理数である
という命題を背理法で証明してみる。
無理数というのは自然数で割り切れない数のことなので、
その逆命題、は有理数である、と仮定する。
が有理数ならば、自然数
、
を用いて
と書ける。と
は互いに素(1以外の共通因数がない)である。
上記式はと書きなおせる。
両辺を2乗するととなり、
これは、が偶数であることを示している。
(奇数の2乗は必ず奇数になるため。)
ということで、と書ける。
これをに代入すると
となり、
両辺を2で割ると、
つまり、も偶数であることになる。
つまり、も
も偶数ということになり、
これは、と
が互いに素である
という仮定に反する。
これはが有理数である、
という仮定(命題)が間違っていたということになり、
排中律により、その逆命題、は無理数である、ということが示された!
(以上、『√2の不思議』 足立恒夫 著/ちくま学芸文庫 を参考)
教科書的に書けば大体こんな感じだけど、
何かこれ、しぶしぶ認めざるを得ないなぁという感じしませんか。
確かに理屈はおっしゃる通りだが、
ロジックはわかっても理解に至らない、というか。。
で、こういうようなことが
数論に限らずいろんな場面にあるような気がしていて、
確かにそれは正しいとは思うが、
どうも直感的に納得いかないというシチュエーションが
日常に散在している気がするのです。
背理法の場合は、
まず排中律という公理が前提にあるのだけど、
これは論理の大前提でもあり、
文章で何かを語る以上は守られるべきルールなんすね。
PかつPでない
という文章は破綻していると。
いや、そうなんだけど、Pだけど、Pでない、というものは、
実は世の中に結構あるんじゃないか。
文脈はおかしいけど、存在できないわけじゃない。
むう、駄々っ子の話みたいですな。
要は、正論は必ずしも真理ではないんじゃないか、
という酔っ払いのウワゴトです。
ちうかね、
世の中に正しいと確定されることなんか、何ひとつありはしないッ!
皆既月食は、結局雨降ってて見えませんでした…。