Windows 7 が出たので、新PC買っちゃった。
自作しようかと思ったけど、今そんな余裕もなく
かといってメーカー製は融通が利かない and 高いので
BTO でカスタマイズして注文。
届くのは来週かな。わくわく。
ときどき、新聞に科学系の特集が書かれることがあって、
昔の私ならそういう記事を真っ先に読んでたんだけど、
最近はあんまりそういうのにカプッと食いつかない。
どうも目新しいことがない気がする。
いや、何かの新発見とか新技術とか、
時代が進むことで新たなものが次々と出てきてるし
確かに、そういう出来事や知見は世の中で初出だし、
“新しい”ことには違いない。
でも、新鮮に感じないんですよね。
月に水の痕跡が!とか、土星の周りに未知の輪が!とか、
テクノロジーの話も、小さいPCとか、小型燃料電池とか、
目覚しいバイオテクノロジーの発達や新発見なんかも
「へー、すごいや」とは思うんだけど、それだけ。
興味がなくなってるというわけじゃないんですが、
何か、同じことを繰り返してる感があるんですよね。
これって、私だけ?
私の場合は、興味が科学方面に傾向してるんだけど、
何か自分の興味のある(あるはずの)方面の話題が
今上がってきたとき、かつてのような熱が入るか。
新しいと思われることでも、実際は既に知っていたり、
知ってることに似てたりするのかもしれないけど。
仮に全く新規の知識であっても、
昔のような新鮮さや面白さを感じられるかというと
それもアヤしい気がしてるんですよね。
で、昔はそういうものをどう感じられていたんだろう?
と、思い出してみる。
科学技術が発達すれば、空飛ぶ車とかできるかも?
ロケットが発達すれば宇宙旅行とかできるようになるかも?
もっと望遠鏡の性能が上がれば、宇宙の果てが見えるかも?
宇宙がどうやってできたのかがバッチリわかるかも!
ひょっとしたらタイムマシンとかできちゃうかも!
未来には、鉄腕アトムやドラえもんみたいなのがいるかも!
ああ、無理っすね。
わかった。ええ、わかりました。
この諦めがあるから、いろいろなものに対する情熱というか
子供の頃のような夢や希望がなくなってるということか。
いろいろ知識を得て、いろいろな限界がわかってくると、
ここまではできると思うけど、ここは絶対無理だろうな
という線がひかれるんですね。
例えば上の話だと、タイムマシンの実現は無理だ、
てことは、今じゃいうまでもない常識として張り付いてる。
宇宙旅行でさえ、そのうち実現はできるだろうけども、
できたとして、それはかなり高額な旅行だろうな、という
現実を見てしまうところがある。
そういう思考回路に変わってるんですね。
…んーまぁ、それだけでもないのかなぁ。
本当は、科学知識を得るということは、
夢や希望とは別の話として大事なことなんですけどね。
上の話とは変わるんだけど、今の科学文明の世の中では、
かつての迷信のようなものを信じられなくなっていて、
それで人の行動がかなり節操なくなってきてるのよね。
昔なら、やたら森の木を切ると神様の罰が下るから、
必要以上に木を切ってはいかんのだ、といっていたのが、
今は、そんな神様は迷信だ、本当はいないってことで、
バッサバッサと切りまくる。
神様がいなくても、木を切り過ぎたら悪影響が出るのは、
もっと科学的な観点で見ればわかることなんだけど。
二酸化炭素が増えて、いよいよ地球がやばそうだ、
という今ごろになって、やっとそのことに気づく始末。
実際は、いち早くそれに気づいていた学者もいたのに、
経済発展が優先される世の中で、そんなもの聞く耳持たず
という感じだったんでしょうな。
無知は罪という好例ですよね。
最近は、理科教育が薄くなってるといわれてるんだけど、
それって、今後この人類の文明を維持、存続させる上で
結構切実な問題で、ちょっと危うい気もしていたり。
杞憂なら良いですがね。