"捨てる"ということの難しさ

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久々に日記的なものを書いてみようかなと。

あ、明けましておめでとうございます。

2015年が始まるわけですが、これもまたあっという間に過ぎ去り、もう年末かよ!信じられない!2016年明けまして......となるんだろうなぁ...なんて、もはや諦めがちに思ってしまってる自分もいたりします。

とりあえず、今年も何とかやっていきますよと。

一昨年の年末年始はいろいろあってバタついていて、私の部屋の掃除もろくにできてなかったので、昨年末に仕事納めを待たず大掃除にとりかかったんですが、それで本棚をちょっとズラそうとしたら、その本棚がグラついているのに気付いて、よく見たらちょっと斜めってると。これは自然崩壊するのも時間の問題だなと思い、その本棚の両サイドに別の棚を押さえつけて崩れるのを防止しようと思ったんですが、そうなると部屋のレイアウトを大きく変える必要が出てくるわけですよ。もうこれはやるならヤル気になってる今しかない!と思い立って、レイアウト変更を断行したわけですが、27日から始めて30日に至るまで、間に出勤日1日挟んだので作業したのは丸3日なんですが、結局それでも作業を終えることが出来ずという......。

なので、年始はいきなり部屋整理の続きという作業が待っているわけですが、今は実家にいるので、ひとときの休息中という感じ。

で、掃除と模様替えしたよって話を書こうと思ったわけじゃなく、その整理をしながら思ったことがあったので、そちらについて書いておこうかなと。

部屋の掃除や備品の配置換えなんてやっていると、そこで普段使っていないもの、ゴミのようなものが大量に出てくるわけです。最早陳腐化しているIT技術本とか、フリーになろうと考えてた時に買った会計ノウハウ本なんてものから、何かのオマケについてきたフィギュアやらシールやら、昔撮りためたVHSのビデオとか、DVDとかCDとかフロッピーとか、今はもう使わないMOドライブとかモデムとかPCの部品やケーブル(パラレルやRS-232Cみたいな)なんかもわらわら。昔の仕事で使ってたノートや、写真のファイルや、私が学生のときに描いてた漫画(みたいなもの)も出てきたりで、鬱陶しいやら懐かしいやらで複雑な気分に。

そこで、当然考えるわけです。これは捨てるべきか、取っとくべきか。まぁ、今は普段使ってない以上は捨てて一向にかまわない、というか捨てるべきものが大半なわけですが、躊躇うんですよね。どんなゴミであっても。それが明らかにゴミだと分かっていても。その取捨選択にいちいち悩むから、部屋の整理も一向に進まないというのもあったり。

実家で暮らしていた時は、こんなことで一度も悩んだことはありませんでした。自分がまだ若くて、過去のものなんてものもほぼ何もなかったというのもあるし、実家だとゴミを収納するスペースが豊富にあったので、相当ためこまないと整理の必要性に追い込まれないというものあったんですが、今は狭いマンション暮らしで、自分もそれなりに長く生きてるということで、上で書いたような過去の遺産がたまりにたまって行き場を失ってきてるわけですよ。もうこれ以上入りません状態になってる。そのことに、大掃除するまで気づかないってのも問題なんですが、まぁ、あるあるですよね。

でね。これって、部屋の中に収まってる物質的なものに限らない話じゃないですか。つまり、精神的なもの、過去に積み上げてきた経験というか記憶というか、過去にこういう経験をしてきたのだから、今後もこうあるべき、こうすべきのような、変な縛りのようなものができてるような気もしなくもない。自分で自分の考え方や行動を縛ってしまっているところがあるのかなと。

また話は飛びますが、私は週末などに、その必要があれば車で買い物に出かけるのだけど、その際に通るルートって大体決まってるんですよね。まず道中のファミレスか牛丼屋かファストフード店などで食事して、某スーパーか某ドラッグストア(日用品や食品とかも置いてるような某店)などで買い物して、時間次第ではコンビニでその日の夕食を買って帰るというような。別にそのルートに固定する何か合理的な理由もないし、その必要もないのに、それ以外のルートを選ばない、その自由はあるのに自分で固定ルートを決めてしまってる感じになってるわけです。

それって何故かというと、単純に知ってる道だから、なんですよね。知ってる道なら、何も新しいことを考える必要がない。悩む必要もない。その店に目的のものを売ってることを知ってるのだから、あえて他の店を探す必要性がない。要は、もう知ってることを繰り返すことって、大きなコストがかからないから楽ちんなんですよね。だから、毎回同じルートを採ってしまうという。何というか、過去に自分でつけた轍にハマってしまえば、何も考えずに前と同じことが繰り返して実現できるわけですな。

それはそれで、ひとつの生活の知恵なんではありますが、ずっとそれでは寂しいというのもあり、他の選択肢もあってそれを選ぶ自由もあるのに、あえてその権利というか可能性を捨ててしまっていることに気付くと、ああ、これだからダメなんだな俺......なんて思ってしまう。思うんだけどそれはそのときだけで、しばらくすると忘れてしまい、また同じ轍を通っている。

そんな買い物ルートのように、他のことに関する思考回路も、そんな定形のものがある種完成されてしまってるんですよね。認めたくはないけど、ある程度歳を取っちゃうとね。その繰り返しが長く続けば続くほど、そこからはみ出ることが面倒になる、ヘタすると怖くなってしまう。普段から新しいことにバンバン挑戦してる人、そういうのが好きな人とかにはそんな気持ちはないと思うんですがね。

そういう過去の積み上げで、一見安定していて最善のルートだと思っているものでも、時間が経って今はもう陳腐化してるものもあるかもしれない。それをいまだに最善だと思ってしまっている自分がいるのかもしれない。もっと合理的で効率のいい、もっと面白くて楽しいルートが他にあるかもしれない。それはわかってるんだけど、今のルートが実用的に使える以上は、中々新しいことに手が出せない。部屋に山積している古いものを「まだ使えるから」と中々捨てられなかったり、ずっと慣れ親しんでいる固定の買い物ルートを変えられなかったりすることに通じる、精神的な可塑性というか、一回そこで形が出来てしまったら、そこから別の形に変えることが難しくなるという問題って、歳を取れば取るほど深刻化してくるものかもしれないなぁと思う。

実は、本当に捨てるべきは、失敗する可能性ではなくて、成功している過去なのかもしれないよね。それは中々できることじゃないけども。

"若い人は"なんて言葉は年寄り臭くて使いたくないのだけど、実際に現実の話として、若い人は成功体験もそう多くない、柵がまだ少ない、今やってること以外の可能性をいくらでも試せる、そういう精神状態のはず。逆に言うと、何かを一つのやり方や考え方で固定してしまうのはとても勿体無いことなので、若いうちにいろいろ試すといいと思う。いい年齢になってくると、下手に失敗できないから安定志向にならざるを得ない部分もあったりするんだけど、若ければいくら失敗してもある程度許されますからね。

ところで、このGoogleのCMはいいね。そう、新しいことを始めたら失敗する可能性が高いのは当たり前の話なので、いっぱい新しいことに挑戦して失敗するのがいいんだろうなと思う。

ま、私にとっての問題は、今の私にそんなことができるかどうか......なんだけどネ。

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