社会・日常生活の最近のブログ記事

いつの間にか7月。

とりあえず月1以上で何か書きたいなということで、
今取り沙汰されてる校内いじめの話でも。

といっても、そんな問題をどうすべきとか原因は何かとか
こんな「ブログを書かないとなー」みたいな動機による考察で
何か解決策とかさらりと出てくるはずもないわけで。

いや、何で“いじめ”なんてやるのかな?
という至って純粋な疑問があるって話なんですけどね。

人が何か行動する動機というのは

 ・それをやりたい(自らの欲求)
 ・それをやるべき(環境による推奨)
 ・それをやらなければならない(強制)
 ・それをやるしかない(選択の余地なし)

などの状況によるものであると。

いじめたいのか。

いじめたい、と思い至るには、その原因があるはずでしょう。
何か気に入らないものがあるのか。
それが解決すれば、いじめたいと思わなくなるのか。

いじめるべきなのか。

その人をいじめることで何かが改善するのか。
それは、いじめによって人が凹むより優先されることなのか。
その何かより、いじめないことを優先できないのか。

いじめなければならないのか。

誰かコワイ人(たち)にいじめろと命令されているのか。
いじめないと、今度は自分がいじめの対象となってしまうのか。
そのコワイ人(たち)は、本当にそんなにコワイのか。

いじめるしかないのか。

他に選択肢は何一つ残されていないのか。
いじめないと、例えば自分も死に至るほど深刻な事態なのか。
死を選ばなければならないほど深刻な人は他にいるのではないか。


よく、人の気持になって考えろなんていうけど、
人の気持になって考えることは、実はみんな本能的にできます。
それこそ3歳児でもできるらしいですから。

要は、自分と他人という区別ができるようになる頃には
他人が自分と同じような思考回路で動いているだろうということを
わりと普通に予測しながら行動するようになる。

だから、もしそれを自分がされたときのことを考えて、
それがどんなに苦しくて、辛くて、悲しいことなのかが理解できれば
それを他の人に対して向けるなんてことはできない、という理屈は
実はいじめの場合にはあてはまらないと思う。

むしろ、逆に、自分がやられたら辛いであろうことを予期して
それを意図的に他人にあてる行為が“いじめ”なんだろうと。

結局、いじめの目的は、その対象の人を攻撃して
物理的、社会的、及び精神的なダメージを加えることでしょう。

それをすることで、いじめられる方は凹むしかないわけだけど、
一方のいじめてる方は、何が報われるのか。

単に遊びとして快感を得ているだけなのか。
それとも何か害されたことがあり、その報復行為なのか。
誰かの命令だったり集団のしきたりだったりするのか。

そのへんによって、同じいじめでも解決方法が違ってくると思う。

ただね、そのへんの事情って
社会に出てからも、わりとそれに近い状態が横行してたりします。

ただ、職場とかでいじめにあったとしても、
そこは大人なので上手くかわしたり、自己の権利を主張してみたり
ときには法に訴えてみたり、最悪逃げたりといろいろできる。

でも、学校は閉鎖空間ですからね。
強制的に1クラスに集められ、学校にいる間は半拘束状態になる。

根本解決となると、人間なんてそういうエゴのある生き物なので
きれいに解消なんてのは到底できないような気がする。

それよりも、今の学校という環境から変えていった方が
いじめを減らす逃げ道であり早道かもしれないとも思いますね。

あえて書くまいと思ってましたが、
最近ブログを全く書いてなかったこともあって、書いてみようかと。
(そんな理由かい)

てことで、1年前の今日、東日本を襲ったあの大地震について
私が思ったことのまとめ。


○その日、私は…

どこにいたかというと、職場にいました。

職場は都心の20階建てビルの15階。
まぁ、揺れました。船酔い(ビル酔い?)するくらい。

そのときはソースレビュー中でしたね。

そこで突然ガーンッて感じで揺れ出して、
窓備え付けのブラインドとかがガシャンガシャン鳴ってて
私はキャスター椅子に座ってて前後左右に流されるので、
そのままどっかへ行かないようにに机を掴んでました。

…というようなことを、今でも鮮明に思い出せます。


○直後の行動

その日は、都内の市街地はどこも騒然としてました。

道路は大渋滞で歩く方が速く移動できるような状態。
電車も夕方近くまで運転見合わせが続いて、
ぼちぼち動き出したのは夜8時くらいから…が、しかし
電車に人が乗りきれず都内の駅は軒並み人溜まりに。

思ったのは、被害がそれ以上拡がらないと分かってる場合、
しばらく今いる場所から動かないのが良いってこと。

もちろん、津波が来るかもしれないのに
海岸付近で動かないというのは論外。逃げてください。
あと、火災で火が迫ってるときに信長を演じるのも駄目。

今回のケースだと、特に大きな被害が出なかった都内とか
近郊の商業地や住宅地などにいた場合ですね。

電車が動き出しても、しばらく様子見。

あと、都内の鉄筋コンクリートビルはそれなりに頑丈で、
震度5、6程度で倒壊するようなことはありません。

78年竣工の池袋サンシャインでも特に目立った損壊なしでした。
(屋上クレーンが傾いたこと以外は…)

仮に大きく揺れたとしても、下手に外に出ない方が良さげ。
外に出ると、上から横からいろんなものが飛んでくるので、
ビル内に留まった方が余程安全です。

…というか、高層ビルの15階とかにいて
そのビルが崩れるほどデカいのがきたら、もう神に祈るしかない。


○翌日以降の行動

交通や通信網などのインフラの混乱は続いてるので、
翌日もなるべく家から動かない方が良い感じ。

幸い2011年3月12日(地震翌日)は土曜日だったので
多くの経済活動は休業だったけど、
仮に営業日だったとしても、その日は休業にすべきでしょう。

仕事をすることで平静を保つという人もいるかもしれないけど
いつも通りは無理なので、その場合は復旧作業という名目で
いつもの仕事はやめて営業準備をするとかが良い。

で、その日は何をするかというと、情報収集。

テレビ、ラジオ、ネットなど現在ある文明の利器を駆使して、
自分が関わる範囲の情報収集に努める。

電気、ガス、水道の供給が今後どうなるかとか、
自分が普段使う道路や鉄道がどういう状態になってるかとか。

中でも重要なのは、危険な場所や行為に関する情報。
近づくなといわれている場所に興味半分で近づかないこと。

あと、買い占めとかアホなことしない。

気持ちはわかるけど、あれは他の人の物資を奪う行為。
そこはいつも通り、必要なだけ購入するというのが
みんな平等に必要物資を分配することになる、ということ。


○できること

私は今回の地震で特に被害を受けなかったんですが…
いや、まぁ大分経済活動が抑え込まれた感はありますがね、
物理的被害は、これといってありませんでした。
(あえていえば、CDラックが落ちて壊れてたくらい…)

それに対して、特に東北の太平洋側の地方は
それこそ歴史的な大災害に見舞われ悲惨な状況なわけです。

でも、そんな人たちに私が何かしてあげられるかというと…

現地へ行って救援活動するにも、私にも生活があるので
今の仕事を投げ出してそこへ飛び込む度胸はない。

募金なんかも、数千円、多くて数万円程度ならできるけど
私なぞにできることといったらそんな程度です。

ならばどうするか。

結論としては、いつも通り生活するしかないってこと。

何もできないのに、下手に何かしてあげようとか思わないこと。
それって、何か被災者を憐れむ気持ちに繋がる気がする。

実際に何もしない人、何もできない人が
被災者は可哀想、大変そう、頑張って欲しい…なんていうのは
当事者にしてみれば単なる同情でしかないんですよね。

これは、逆の立場だったら…と考えたらすぐわかること。

実際に行動しない人が口だけキレイなことをいうのは
あえてトゲのある言い方をすると“偽善”に過ぎない。

この際、本心から心配しているかウワベだけかは関係ない。
どちらも当事者の目には同じように映るだろうということ。

逆にいえば、被災地に救援物資を送ったり、
直接現地へ出向いて救援活動に参加したりすることは、
仮にその動機が賞賛されたいという偽善であったとしても
被災者にとっては立派な救援活動に違いはないということ。


○備えること

大地震に備えてできることというのは
もう日頃からいわれていること、月並みなことでしなかいと思う。
それが一般的になかなかできてないだけ。

私が考える最低限の備えは次の3点。

・飲料水の備蓄
・避難場所、避難経路の確保
・情報、その入手手段の確保

ベア・グリルスにいわせれば

「食料がなくて生きていられるのは3週間まで、
水がないと3日まで、空気がないと3分 まで」

ということで、
空気は普段からアクアラング背負ってるわけにもいかないし、
食料は3週間もあればおよその流通が回復するか
そうでなければ救援物資が期待できる(はず)なので、
最低限、水の確保ですね。ここわりと生命線。

避難場所と避難経路は、
まずは家や職場の建物から外へ出るより安全な経路の把握と
外へ出てから逃げる先の避難場所とそこへの経路ですね。

で、国や自治体などが定める避難場所もあるけど、
そこは鵜呑みにせず自分の目で確認しておくことも重要。
陸前高田とか避難所が水没したみたいなケースもあったしね。
話半分で聞かないといけない行政ってのも残念な感じだけど。

そして、何気に一番重要なのは情報。
情報がないと、津波に向かって逃げるという悲劇も生まれる。
あと、インフラの被害状況や支援活動などの情報も、
被災後しばらく生活をしていく上でも必要でしょう。

ラジオというわりと旧来からの機器もあるけど、
最近なら多機能携帯端末が強力なツールになるはず。

つまり、スマートフォンやガラケーみたいなやつですね。

電話は回線が詰まってると使えないけど、
ガラケーや多機能スマホであればワンセグ機能もあったり、
3GかWi-Fiスポットがあればネットによる情報収集もできる。

その意味で、スマホとかはもう趣味のガジェットではなく、
防災ツールとして持っておく価値はあると思うんですよね。

ただ、それを活かすには、
様々な災害に強い通信網を整備しておく必要がある。
そしてこればっかりは個人では無理で、
こういうところは行政に頑張ってもらわないといかんと思う。


今日はどのテレビ局も東日本大震災の特集ばっかりですが
やっぱり元通りの復興はまだまだ道遠しって感じですね。

というか、復興作業のほとんどが民間主導というのが、
改めて行政のポンコツさが露呈してるなぁ…という感じで
ホントどうにかならないものかと。


※このエントリはあくまで個人的な意見であり感想です。

最近のニュースを見ていて思ったこと。

「脱原発」という言葉。

いろんな政治家が脱原発を宣言してみたり、
自分は脱原発派だなどとどっち寄りみたいな発言をしたり、
しまいには芸能人まで脱原発派だとか言い出す始末。

これ、多分他の誰かもいってることかもしれませんが
多分、好き好んで原発使いましょう!どんどん使うべきです!
なんて思ってる人はいないでしょ。

原子力発電というのは、電力を得る手段として
現段階で実用的な選択肢のひとつであるというだけです。

それは火力も水力も同じ。

化石燃料をジャブジャブ使って温室効果ガスを出すのも、
山や森林をを削ったり過疎村を湖の底に沈めたりするのも、
それぞれ同様に電力を得る手段です。

原発は事故ったときの放射能汚染が怖い、というのは
別に「脱原発」などいうことをわざわざいわなくても
誰しもみんなそう思ってるでしょう?

つまり、言い出したらみんな脱原発なんですよ。

将来的にこれを太陽光なり他の再生可能な
クリーンエネルギーに置換していくべきだというのは、
やはり皆同じく思っていることで、それを実行するのは
これからの政治の当然の使命であり役割です。

ただ、それら将来のエネルギーが実用化するまで
当面エネルギーをどう工面するかというところで、
火力なり水力なりと同じく原子力がある、ということ。

もし、原子力を今すぐやめるべきだ、ということで
「脱原発」といっているなら、今原発が賄っている分を
直近どうやって補うかも同時に考えなきゃいけません。

採算度外視で太陽光パネルを並べるのも良いけど、
それを国や電力会社がやる以上は、
確実に税金や電気料金に反映されてくるわけで、
それをクリーン、安全性とトレードオフできるかどうか。

そこまで見据えて「脱原発」といっているなら良いけど、
バカの一つ覚えみたいに脱原発、脱原発といえば
人気が取れると思ってるような印象があるんすよねぇ。

これからの社会、もう原発推進とはならないでしょう。

原発含め既存のエネルギーは
あくまで、次世代エネルギーが実用化するまでのつなぎ
という位置づけになりつつある。

まぁ私個人は、原子力発電自体は
かなり優秀なエネルギー源だと思ってるんですがね。
それでも、それがずっと使い続けられるものではない
ってことくらい分かってます。

なので、原発はなくすべきだ!脱原発だ!などと
わざわざマスコミの前で騒いでる人を見ると、
何を今さら、オマエにいわれんでもわかっとるわいッ!
と突っ込みたくなる今日この頃。

政治家は、口だけじゃなく
次世代エネルギーの開発が効率良くできるような枠組みを
本当にそろそろ真面目につくって欲しいもんです。

福島原発の実態は依然不透明な部分が多いけど、
それでも徐々にいろいろな状況がみえてきてますね。

やっぱり地震そのものによる被害はそれほどなかったらしい。
そして、津波の被害もある程度予測可能だったらしい。
…にも関わらず、いろいろな対策を怠っていたようである。
かつ、津波被害後のマズイ対応が被害を拡大させていた。

いくら施設が頑丈でも、その電源がなくなれば
電力で動いている施設がダメになるのは素人でもわかります。

炉や燃料の冷却システムも電力で動いてるわけだから、
電力供給が断たれれば冷却もできなくなって
いずれそれらの破損につながっていくことも大体想像がつく。

結局そこが要だったと。

今回は津波で予備電源まで失われたので、
その現場だけで電源の復旧再生することは難しかったはず。
そこで重要なのは中央の対応になってくる。

中央というのは、本店であり、政府ですね。

当然、現場からは本店に向けて救援要請はあったはず。
そしてそれは本店から政府にも上がっていたと思われる。
しかし、それ以降の政府対応はというと……?

現状、被災地の復旧活動も、政府主導というより
民間やボランティアが中心になっていることから見ても、
原発の対応も推して知るべしといったところかもですね。

震災はもちろん天災ですが、
原発の一件はどうも人災な側面が大きい気がしてきた。

今回拙かったのは、被災前の対策が甘かったことと、
被災後の対応の極端な遅さじゃないか。

で、このために、原発自体がえらい悪者になりつつある。

もう日本ではこれ以上原発をつくれない勢いです。
というか、今ある原発も止めるべきだというデモや運動も
あちこちで発生しつつある感じ。

これは日本にとどまらないですね。

その原発事故による直接の放射線被害のみならず、
原発自体が必要以上に危険視されてしまったということも
福島の事故による社会的な被害といえるんじゃないか。

当然のことだけど、原発の運用はバカにはできません。
現場はもちろん、運用する会社やそれを管理する政府も
相応の知識と技量といざというときの行動力が必要です。

それが今の東電や政府にはなかっただけで、
原子力発電という技術自体が悪ではないと思うんですよね。

ただ、それを扱う技術もなしに運用するのは危険なので、
その意味で手を引くべきだという人もいますが。

でもそれを言い出すと、他にもある世の中のあらゆる
技術的な挑戦が頓挫せざるをえないので、
やるべきかやめるべきかは状況によりけりですけどね。

原発とは関係ないですが、最近CSの番組で
航空機事故の特集をやってたのをたまたま見てたんですが、
あるひとりの管制官が、航空機を1機滑走路に待機させて、
忙しさのあまりそれを忘れて同じ滑走路に別の航空機の
着陸許可を出してしまって大事故になったというものでした。

その調査にあたったNTSBの調査員が番組で
「悪者(この場合、誘導ミスした管制官)を特定して
それを非難することは簡単だが、重要なのはそこではなく、
同じ事故を起こさないためにそうなった原因を明らかにし、
今後どうしていくべきかを考えることだ」
というようなことをいってました。

その事故が起こったのはLAXだったんですが、
そこはかねてからパイロットや航空関係者から危険視される
超混雑の空港だったそうです。

それにも関わらずそれを解消する対策が殆どとられてなかった
ということが、事故の最大の原因だったということですね。

畑は違えど、福島原発の件も同様じゃないかな。

原因を特定して、その対策を迅速に打っていかないと、
きっとまた同じことが起こりますね。

今の政府にそれができるのか、甚だ心配ではありますが……。

私は特に東電の関係者でもないし、
知り合いがそこにいるとかいうこともありませんが、
世間の東電叩きが酷いので、ちょっとフォロー。

まず、原子力が大きな危険を伴うエネルギーである
ということは、誰もが認めるところでしょう。

そんな危険なものを、なぜあえて使うのか。

簡単です。エネルギー効率がとても良いから。

現在、発電の主力である火力発電の場合
100万kW発電するのに石油143万トン必要だけど、
原子力発電の場合、同じ100万kW発電するのに
ウラン21トンほどで済むといいます。

加えて、火力発電は二酸化炭素などの温暖化ガスや
その他石油の燃焼に伴う公害ガスを大量に出すけど、
原子力では、熱循環を内部に閉じ込めている限り、
火力のような大気汚染はほとんどありません。

つまり、原発というのは、不測の事態さえなければ、
効率も良く公害も少ない理想的な発電所なんですね。

実際、日本国内の電力の約3割は原子力によるものです。

ただ、当然、原子力というのが
原子の核分裂時に発生する熱を利用するという特性上
同時に発生する放射線による危険性というのがある。

その放射線や放射性物質は閉じ込める必要があるけど、
原子炉や循環システムが損傷してしまった場合、
それらの危険物質が外部に漏れ出すことになります。

特に地震の多い日本の場合、原発をつくるリスクは
相応に高いといえる。

なので、原発というのは相当頑丈につくられます。

今回の福島第1原発の件では結構忘れられがちだけど、
あれは、原発の内部不具合で発生した事故ではなく、
いうまでもないけど、あの巨大地震の被災によるものです。

第1原発のある福島県沿岸は立入禁止になっていて
あまりマスコミの取材が入らないためか認識が薄いけど、
あの周辺も宮城や岩手沿岸と同等の被害を受けてます。

家屋は津波でほとんど流され、講堂や体育館のような
比較的大きな施設も半壊からほぼ全壊という状態。
今でもまだ津波の海水が退かず冠水してる地域もある。

そんな中、第1原発の建屋はほぼそのまま残っていたし、
施設そのものはほとんど被害を受けてなかったそうで、
実際、原子炉の運転自体はちゃんと停止できている。
その頑丈さって、実は何気に驚異的じゃないか。

(今は、その後の水素爆発で無残な姿になってるけど…)

今回のは、巨大な津波で電源系統がやられてしまって、
炉や燃料の冷却ができなくなったことが問題。

東電や保安院の会見でしきりに「想定外の」津波というけど、
あれは、もうその言葉通りなんだろうと思う。

おそらく、当初の想定以上の地震がきてしまったら、
そのときはもう腹をくくるしかないよね、ってことでしょう。
(当事者は間違ってもそこまではいえないでしょうけど)

そして今回、本当にそういう地震が起こってしまった。

そもそも論でいうなら、原発なんかつくらなければ
どんな大地震がきても、こんなことにはならない。

…当たり前ですが。

原子力を諦めて火力発電を増やす場合、
石油利権のある関係者たちは喜びそうですが、
おそらく、電気代は相当上がると思われる。

原発で今回みたいな事故が発生するということ自体は、
実はみんな容易に予測できていたと思います。

ただ、それに引換えてでも選択価値のあるものだった
というのが原子力なんだろうと思うんですよね。

車に乗れば交通事故に遭うリスクが発生するけど、
歩くより格段に早く移動することができる。
だから、人はリスクがあると知りつつ車に乗る。

それは他の交通手段も同様にいえることだし、
交通手段に限らず全てのインフラにいえることです。

ただ、そのリスクを国や企業が国民(特に地元民)に
強要している形になってるので、国やその企業も
ある程度の責任を負うべきだとは思いますけどね。

その原子力で供給されていた電気を
今までみんな当たり前に供給されるものだと思って
使っていたわけでしょう。

ということもあり、最近の東電一企業だけを叩く風潮が
どうも理不尽に思えてしまいます。


電力需給に限らず、人間がやることなすことって
自分ひとりじゃ結構何もできないということを
もう少し認識してもいいんじゃないかと思いますね。

節電、してますか。
(政府広報のキャッチになりそう)


○買占め

首都圏でも、食品や日用品の品薄が続いてます。

地震の影響で供給もある程度低下してるとは思うけど、
例えばティッシュペーパーなどがスーパーや薬局など
あらゆる店頭から消えるほど極端に減るってことはない。

原因は、個々人が普段より多く買い溜めしているという
いわゆる買占めが起こっているからです。

気持ちはわかるけど、やめて欲しいですね。

それって、自分だけが、或いは家族だけが助かれば、
他はどうなっても良い、という行為だと気づいて欲しい。

店へ行けば誰でもいつでも必要なものが購入できる、
という本来の状態をなるべく維持すべきだと思うのです。

追記(3/22)
食品や日用品の品薄は配送トラックなどの燃料不足も
原因にあるようです。実際仕入れが少なかったんですね。
…となれば、なおさら買占めは控えたいところですが。


○日常のありがたさ

こうして災害に襲われた緊急事態になって、はじめて
普段の日常がいかに恵まれていたかと気づかされる。

危機感が伴わないと、人は本当に理解しないんですね。

発電所がいくつか機能不全になって電力不足になる。
こうなって初めて本気で節電する、とか。

ただ、今の節電は緊急時のもので、
生活に必要な水準を切る節約が求められてはいるけど、
普段から今の半分くらいの努力はあっても良いと思う。


○娯楽施設たち

夜20時も過ぎると、渋谷でさえほとんど暗くなってます。

私の住んでる新横浜は何故か計画停電の対象外ですが、
それでも街はすっかり鳥取のようです。(笑)

そんな中腹立つのが、パチンコ屋とラブホテル。

みんながこれだけ節制してるのに、
電飾看板を明々とつけて全く普段通り営業してるとか
どんな神経してるんですか。

で、例の節電大臣は何も規制しないそうです。

どうもパチンコ屋の営業母体は在日の団体が多いらしく、
そこが主要な政治資金源になってる民主党は立場的に
強くいえないってことらしい。

どこまで腐ってるんですか。

あと、うちの近所はラブホテルが群集してるんだけど、
何かクリスマスツリーみたいな電飾ピカピカしてるし、
無駄な照明とか噴水とか普段通りだったりする。

まぁ営業するなとまではいいませんけど、
せめてネオン電飾とか不必要なものは切ってくれないと
節電を頑張ってる商店街とか家庭は報われないです。

今の政治じゃどうにもならんのですかね…。


○略奪

どうも海外メディアでは、
日本の被災地域で略奪が起こらないというのが不思議だ
というような論調があるようだけど、不思議でも何でもない。

それをやっても何の得にもならないから。

理由はこの1点じゃないですか。

日本人の価値観が欧米人のそれと違うということもあるし、
災害時であっても治安がそれほど悪化しないということも、
「悪事を働くより、助け合った方が良い」という結論になる
裏づけになってるのかもしれませんが。

代わりに、鬱屈するものは多いようですが…。


○非難すべきか、せざるべきか

こんな時期に政権批判をするな、という声もあります。
…てか、私も当初そう思ってました。
さすがに緊急時くらいは、ある程度対応してくれるだろうと。

でも、やっぱり駄目です。

というか、ここにきても政権内、閣僚がまとまってない。
官房長官ひとりだけ報道官としての仕事を果たしていて、
他のオッサンたちは相変わらず政局で動いてる。

つい最近罷免したはずのアレを副官房に戻すとか、
どさくさ紛れに大連立しようとするとか、
さっぱり意味の解らないことをやり過ぎです。

思うに、福島の件も、東電がグダってるというよりは、
政府判断がグダってるんじゃないかという気がする。

当初、避難指示を3km圏内だったところが、
10kmになり、20kmになりとどんどん広がってるけど、
あれって、東電としては、最初から30kmくらいで
勧告してたんじゃないかな?と思うんですが。

先日の東電の会見で
「もっと早い時期に注水作業を開始していれば、
ここまでの事態にはならなかったのではないか」
とか人ごとみたいな言い方をしてたんだけど、
あれは今にして思えば、自分たちはそう勧告したが、
政治や上層部が動かなかった、という現場の訴え
とも受け取れる。

まぁ、憶測ですけどね。


○ひとごと

正直、直接被害を受けなくて良かった、と
今回の災害を免れた人たちは思ってると思います。

被災地の人は気の毒だけど、現実そうでしょう。

仮にこれが東北でなく、九州の方で起こってたとしたら、
きっと逆の立場で、東北地方の人たちは
ああ、九州に住んでなくて良かった、と思ったはず。

自然災害に襲われるかどうかなんて、
神か悪魔でもない限り完全予測するなんてできないので
ほぼ運です。

「ああ、自分でなくて良かった」と思うことは、
別に悪いことじゃないと思う。

誰しもその災難に遭う可能性が平等にあるという限り、
「良かった」と思うのは
その難を逃れた人の正当な権利だと思います。

今回は逃れたけど、それと同じかそれ以上の災難が
いつ襲ってくるかもしれない、可能性は0ではないのだから。

ただ、実際に自分が受難した際に、他人に救援を求めたい、
その権利を要求するというのであれば、
難を免れたときに、被災者を救援すべきだ、ということも
Give and Take な世の中では心得ておくべきでしょうね。

2018年2月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.2.10
MLEXP.サイト内を検索
Loading
NEC「得選街」