1999年6月アーカイブ

新聞を読んでいると、他者としての自分、というフレーズに目が留まった。他者としての自分、はて、どういうことだろうか?自分は自分であって、自分から見て他者にはなり得ないはず‥‥。

よく、自分を大切にしよう、という説法を聞くが、それをあからさまにやられると他者としては、あまりいい気持ちはしない。それが、自分本位に映るか らだろう。しかし、やはり、自分は自分として、自分のために生きるのが常である。しかし、他者とも共存していかねばならないのが人生。

そもそも、自分を実感するとき、とは、どういうときだろうか。自分がそこにいるのだな、と確認できる。それは、他者によって自分の存在が確認された ときに実感できるのではないだろうか。人生とは、他者に如何に自分を見せていくかである、という考え方もある。つまり、自分という存在を他者に見せてなん ぼ、という思想だ。自分しか知らない自分は、つまり、他者にとって存在していない。

ここに、自分にも二重性があることに気づく。いわゆる他者にとっての自分と、自分にとっての自分だ。他者にとって自分は他者。この「他者としての自分」が世間における一般的な自分ということになるのだろう。

「何に対して自分が自分であるかという、その関係の相手方が、つねに自分を測る尺度となる」という、デンマークの思想家キェルケゴールの言葉が、同 時に紹介されていた。他者によって見られる自分が、世間での自分の評価。しかし、自分の中では、そうでない自分であって、かつ世間にも理解して貰いたい自 分もある。これを叶えようとして挫折した人は、世の中に少なくないはずだ。

ただ、自分の思うことがその通りに叶うことの方が少ない。何かしようとして、全て失敗もなくうまくいく、というのも、どうも嘘臭い。現実(リアリティ)とは、概してそういうものなのだろう。

さて、どうすることが、一番良い自分となることになるのか?少なくとも、自分に自分を偽るようなことはしたくはないと思うのだが‥‥。

もう一つ、面白いフレーズを見つけたので紹介しておく。

人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことに、
天使のマネをしようとすると獣になってしまう。

ブレーズ・パスカル

2014年3月

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