1999年10月アーカイブ

最近、生命科学の急速な進展によって、人の体をあらゆる方向から操作できるようになっている。試験管ベビーに始まり、臓器移植、遺伝子治療、遺伝子 改造、そしてクローン、生体(臓器)培養まで進展しようとしている。これらの技術は、確実に人の役に立つ技術だ。しかし、その是非はまだまだ議論されなけ ればならない。

しかし、「役に立つ」のに、なぜ議論するのか。これら列挙したうち「臓器移植」に関しては、幸せになる者がいる一方で、悲しむ者もいるという点で性 質が異なるところがあるが、それ以外の技術に関しては、あくまでそれを使う本人の問題で、本人が幸せと感じるなら、それは「役に立つ」という話になるので はないか。

近年では、人体のあらゆる部位が、人工的に培養可能となり、それを商品化して売るというビジネスも成立しつつある。これが軌道に乗れば、工場で人体 の各部品が自動生産されていくのだろう。実際、米ATS社では、培養皮膚、培養軟骨の開発に着手している。人体の部品もオートメーションで生産されれば、 今より安い治療費ですむことになるが、それで割り切ることのできない人もやはり多い。

問題となっているのは、人を人の手で作る、というところになるのだろう。後から作り替え可能となれば、人は劣った部分を次々と修正しようとする。あ らゆる病気が減る一方で、人間としての個性も消えていくという将来が予想される。もともと自然は、全て均一化しようという大きな流れがあるが、人もそうな るのが運命なのだろうか‥‥。

「役に立つ」という言葉。人が幸せになることに貢献できれば「役に立つ」といえるのであれば、人が均一化することに貢献することも「役に立つ」とい えるのか。逆に、倫理を唱えて生命の操作に異議を訴えることに意味はあるのか。それは「役に立たない」ということにはならないか。重要なのは、それをして はならない、という、人としての「心」があるという事実だ。それは「役に立つ」という方向のみではない、人としての在り方を問う根本的な議論が内在してい ると思う。

2014年3月

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