2000年2月アーカイブ

通勤電車を降り、改札を抜け、いつもの路地を曲がり、いつもの会社へ行く。この生活が変わらず続く。さてさて、自分はそれで一体何をしたいのか、などと思ってみたりする。自分がそうして会社へ行って、いつもの仕事をこなすことにどれだけの意味があるのか?

会社へ行けば、自分を必要とする人たちがいる。仕事の内容によっては、自分一人欠けても大きな損害となる。そこで自分という存在は、大いに意味のあ る存在となる。仕事はあるし、それをすることで、日々の生活費を稼ぐことに繋がる。というか、むしろ生活費を稼ぐために仕事をしているという分の方が大き い。自分を必要とする仕事場というのは、その手段の一つでしかない、とも考えられる。

自分の存在する意味。生きる意味。そんなものは、結局、自分の中で自分の現在の位置をランク付けするというもので、万人にその意味が通じるものでは ない。意味など、そもそも人それぞれの価値観によって変わってくるもので、他人にどう評価されようが、自分がそう思えばそれで満足のできるものとして良い のだろう。絶対的な意味、それこそ宇宙に於ける自分の存在の意味など、あるようでない。

ただ、やはりそこに存在するからには、何か宇宙的な意味もあるのだろうなぁ、と考える。私たちの体が、極微の素粒子からなっていて、その素粒子一つ 一つが自分という生体に置いてある意味を占めているように。でも、そんな素粒子の意味など私たちが理解するに及ばず、ましてや素粒子が私たちを成立させよ うと働いているわけでもあるまい。つまるところ、自分が存在して、そこでどんな挙動をとるか、といった現時点での事実のみがあるに過ぎない。

この荒んだ世の中において自分の生きている意味がない、などと感じる輩も多い。それを見つけようと宗教に入信したり、絶望に暮れて自殺に走る御仁も 多々。意味など、その時その場に応じて付加されるもの。最初から生きる意味を持っている人などいない、と、私などは思う。なければ自分でつくれば良い。

2014年3月

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